いきるって

いま、勉強していること都市的ではない、現代における農山村での暮らし方 と言えばいいのか、、合ってるのか、、?

を、僅かながら かじりはじめて。

なぜかというと

協力隊の1年間で なんとなく でも強く確かに でも感覚的に 農山村っていいなって思って

それはきっと 私だけじゃないはずで

命に近いところでの暮らしって 誰にとっても本質的であるはずで

だから いま 当たり前にあるこの都市社会的な暮らしから メインストリームを農山村に持ってくのってありだと思っていて 農山村の暮らしを補う都市社会? ってあり得るのかな? わからないけど
とにかく 最近覚えたことばを使うと “懐かしい未来”をつくる。
そういう未来を描く。その一助になりたい。

そのためには勉強しなきゃって思っていて    

でもその世界を見れば見るほど

生きてるってなに?

なんのために生きるの?って思ってしまう。
人間がいなくても自然は自然であり 循環しているわけで。

環境に優しいとか優しくないとか破壊するとか それってぜんぶ人間目線で。要は人間が住めなくなるってことですよね。 

地球を破壊するほど壊さなければ たぶん きっと綿々と自然は自然のままずっと循環していくと思う。
自然に寄り添った暮らしって心地いい。でも別に人間がいなくても、というよりいないほうが 自然にとってはいいのでは?

そしたら人間の行うすべての活動って意味があるのかな、

なんのために生きてるの?
と思ったら なにもできなくなってしまいました。

でも いまは勉強するしかないのかな。勉強不足だからこう思うのかもしれない。

いまはまだ その中でも 先が見えそうな 信じられる道をゆくしかないんだろうな。 

いつか あの頃はこう思ってたけど 人間って愛おしいものよ
って話せる日が来るのかな。

山に暮らすものたち

大きな鹿と出会いました。

先日 夜 遅くなったので近道をしようと 人里からやや離れた山道を車で下っていたときのことでした。

車がギリギリすれ違えるくらいの狭い道。遊びに来てくれていたえみを隣に乗せて 獣が出そうだね〜と呑気に話していたその直後 道路のすぐ脇になにかいるなと思いました。

それは立派なツノをもった 大きな鹿で じっとこちらを見ていました。ツノも含めた全長は2mくらいあったような印象を受けました。

あまりの驚きと恐ろしさに声も出ず ただ それのすぐ真横を ゆっくりと通り過ぎることしかできませんでした。

生きた心地がしませんでしたが もうそのあとは無事に帰れることだけを祈ってひたすら車を走らせました。道中 私たちを見て逃げる さっきより小さな鹿のお尻と イタチか何かの小動物が走っているのも見ました。

話し合いの結果 最初に見た大鹿は ハリー○ッターの守護霊か シシガミ様のどちらかで 私たちに幸せを運んできてくれたに違いないということで落ち着きましたが 夜道で野生動物に出会うことがこんなに怖いとは思ってもみませんでした。

恥ずかしながら 山のすぐそばで暮らしているのにも関わらず 野生動物と出会ったときどうすればいいのか 全く知りませんでした。 

鹿や猪による畑の獣害に農家さんが苦しんでいるのを見ており 彼らが山に住んでるのをわかっていたはずなのに 本当には わかっていませんでした。

真っ暗な山道 車のライトの灯だけで確認したそれは 不確かな記憶の中で幻想的なものに脚色されていて、踏み込んではいけない世界に入ってしまったような、今自分は 獣の世界と人間界との曖昧な境界線を行ったり来たりしながら生きているのかもしれないと思ってしまうような出来事でした。水族館で深海魚を見たときみたいな、未知のものに対する不思議な怖さ。

後々地域の方に聞いてみたら 鹿はこちらから何かしなければ何もしないとのことだそうです。

でももしイノシシやクマだったら…

考えるだけで恐ろしいです。

人間がコントロールし得ない自然と、生き物とともに またはすぐそばで暮らすのであればその怖さ そしてリスクも知らなくてはならないと改めて感じました。反省。
えみ 怖い思いさせてごめんね(°_°)

  
夏の昼間。例の山道から見た景色。

  
山と電線。自然と人。

  
実際の今の山々の色はこう。 紅葉ももうすぐ終わりかな。

今日。

11月19日から 若葉のふるさと協力隊が上齋原にやってきます。
緑のふるさと協力隊の1年間を5日間に凝縮した 短期農山村プログラムです。

若葉の中でイベントをやると決めて本格的に取り組み始めてから2ヶ月ほど経ちました。
ずっとずっとしんどかったのは 思い通りにならなかったとき 自分ではなく相手に原因を探していたからだと思う。
今日 すごく落ち込んで なぜこうなってしまったのか よく考えてみた。

自分の悪いところに真面目に向き合ったのはいつぶりだろう。

いつも自分の弱いところから 目を背けてきた。見て見ぬふりをしていた。

もしかしたら人生で初めて かもしれない。

悪い自分ごと受け入れる
って誰かの言葉にあったような気がするけど あぁこれが受け入れるってことなんだなあと思う。

そうしたらなんだか楽になった。

だめな自分を受け入れて 初めて 地域の人の優しさも 厳しさも 全部あたたかいものとして受け入れられた気がする。
明日からは もっと本当の意味で 誠意を尽くして 地域の人と関わっていけると思う。

今日はここに来て一番落ち込んだ日。

そして 一番すっきりした日。

相談に乗ってくれた

優しい言葉をかけてくれた

一緒に考えてくれた

叱ってくれた

地域の方へ 今 心から感謝している。

有難い。

あと半年

今までブログはほぼ更新してなかったけど いつのまにか協力隊の任期は 残り半年にさしかかろうとしています。今の思いを綴っておきます。

4月から6月 ただただ毎日が楽しくてわくわくして仕方がなかった。

7月8月 忙しくて毎日を生きるのに必死だった。

9月 中間研修で同期と再会し、今までを振り返りつつこれからのことを考える時期になった。

  

鏡野町どう? ときかれることが増えた。どう?ってきかれても広すぎて困るけど、「今まで山に囲まれて過ごしたことがないので、知らないことだらけで毎日新鮮でおもしろいです。」と答えることが多い。これは本心で全く嘘はない。けど、辛いこともたくさんあった。 

農山村に向かう若者 という話になるとなかなか色々な考え方があるんだなあとここに来て思った。

都市の人より農山村に住んでいる人の方が「都市と農山村」についてはるかに真剣に 深く 考えていると思う。だからこそ自分と異なる考え方をもつ人とよく出会う。

そこには育った環境が違い価値観の違うあなたとわたしがいる。それだけのことなのに 「この人とは分かり合えない」とわたしから壁を作ってしまってるかもしれないと最近気づいた。
  

『多様な価値観を知った上で都市と農山村が手を取り合って生きていく道を探る』ということを協力隊の一年間の大きな目的の一つとしてここにやってきたのに 自分が真逆の振る舞いをしてることに気づいた。

都市と農山村の問題について 一筋縄じゃいかないことがよくわかったし ましてや今のままじゃ自分から閉ざしてしまって前に進まないなあと思う。

そろそろ次のステップに進まなきゃ。

どちらかといえば

考えるな、感じろ 

でこの半年過ごしてきたけど これからは思考することも大事かもしれない。

来週は若葉のふるさと協力隊がやってきます。中間研修のように また 良い刺激をもらえると良いな。
  

土や植物に触っていると 苦しいときでも心が落ち着く。 土や水や葉っぱや風や山とわたしはつながっている。

おひさしぶりです

なぜかFacebookばっかり更新してこっちは放置だったけど これからまた更新しようかなーと思います。
記録に残すのってやっぱり大事ですよね。

中間研修を終え東京から岡山に帰る新幹線の中にて。

みんなに会えてよかったな。
  
旅のお供は おとのが買ってくれた芋ようかん。おいしーい。

たいせつなこと

町外に出られないの かわいそうー

と言われることがよくある。

この原則に賛否両論あるのはわかる。 かわいそうって言う人の気持ちもわかる。

でも わたしは あんまり気にならない。なんでかなーと考えると わたしにとって今大切なのは 

どこに行くか よりも 何をするか

何をするか よりも 誰とするか

だからだと思う。

なにが大切か 人によって違うのは当たり前だけど わたしにとって今大切なのは近くにいるひと ってことだろうなあ。

  

おすそわけ

今にも雨が降り出しそうな空模様の午後4時 野菜いる? と電話がありました。
  

育苗センターでお世話になった方。 働きながら お家で食べる分の畑もしている。これだけたーくさん育ててると 野菜は買う必要がほとんどない。
 
虫除けネットつき帽子 いいなー。

   

ここ最近でもらった野菜。 八百屋さんできる。

これだけ色んなものを頂くと なにを作ろうかなーと考えるのが とても楽しい。 あの人にもらった野菜だから って考えると 倍楽しいし 倍おいしい。

このあたりの人たちは みーんな畑をやっている。 田舎だと当たり前なのかしら〜 すごい!知らんかった!

それから みんな野菜をたくさん作ってるから おすそわけは当たり前 のようだ。 おすそわけ文化が根付いているのかな。みんなで食べると美味しいもんね。

ちなみにわたしたちも畑を始めたので 野菜の値段高騰のニュースを見て トノと 勝ち組だねー!と話しました。笑

愛着。

友だちが鏡野町に遊びに来てくれた。

そのとき 鏡野町に愛着ってある?ときかれたのだけど とっさに うん とは言えなかった。 

すぐにうん と言えない自分にびっくりしたけど 愛着って何かよくわからなかったし なぜだか 自分の町に対する気持ちにその言葉がぴったりだとは思えなかった。

なぜかなーと考えると

とてもとても好きな人がたくさんいるし 活動も新しいことだらけで 毎日楽しいし 自然も豊かで この町に派遣されて良かったと思ってる けど 

この2ヶ月で 悔しくて悲しい思いも やるせない思いも 少なからず経験して どうしようもなく 切なくなったりすることもあった。

なんだか複雑なんだなあ。

でも最近思う。

道の駅物産展などで違う町へ出たときのこと。 Google mapを広げて 現在地を確認する。 あぁ こんなに遠くまで来てるんだと思う。 帰り道 車に揺られながら 青いまるを追う と いつも 北へ北へと向かっている。
県南の人は その町のことを 名前くらいなら知ってる と言う。 鏡野町ってどこにあるの?と言う。 けど私は 地図でその名前を見つけると なんだかほっとする。少し嬉しく思う。ああ 帰ってきたなあと思う。

愛着? かはわからないけど 愛おしい…と言ったら言い過ぎだけど そういう気持ちになれたことに なんだかほっとしている。

いつか 自信を持って そんなよーなことを 言える日が来るのかな。
  

岡山市での出張イベントの帰りの車にて。

もちろん 鏡野町?温泉が良いよねー とか トマト美味しいよね とか 道の駅バイキング行きたい! とか言ってくれる人もたくさんいますよ!笑

お米づくり。育苗センターにて。

鏡野町にきて今日で2ヶ月と1週間となりました。


今月の目標は生活を安定させる! 4月から流れるように毎日が過ぎてゆきましたが そろそろ落ち着いて 心に余裕を持ちたい今日この頃です。




だいぶ時が経ってしまったのですが 少しずつ振り返ろうと思います。
4月〜6月の活動の中でずっと関わってきたことは なんといってもお米づくり。

育苗センター ・精耕園・農機センター での活動を中心に お米づくりに関わってきました。

今回は育苗センターについて。  4月 本格的な協力隊の活動は育苗センターから始まりました。

 

昔はどこのお家でも 稲の苗作りは種まきから自分たちで行っていたようです。 しかし今では 育苗センターなどの大規模施設で大量生産する苗を買って 田植えから自分で行ったり 田んぼ自体を業者に委託する家庭が多くなっているそうです。
その背景には 金銭的に機械の維持が難しいこと・歳をとってできない などの理由があります。 また お米の売値が安すぎて商売にならないから 売るのはやめて 家庭の分だけ作っているという話もよくききます。

そんなわけで 農家や業者に売るお米の苗をつくる 農協(JA)の施設である育苗センターは 田植え前の4月には大忙しなのです。

そして協力隊として鏡野町にきて11日目 育苗センターにて初仕事を行いました。

籾まき→発芽→育成→配達 を一定量ずつ行っているので 全ての過程に関わらせてもらいました。

籾まき(種まきのこと) 

  
  大きな機械で。

  
種を投入!


これが 種。つまり籾。人の目で細かい量を調節。
 

 
出てきた苗を棚に乗せる。

 
 
温室に入れて発芽させる。

ここで一区切り。やれやれー。

成長すると苗運び。

  
苗の背丈にあった棚に移動。

 
すくすく育つ。かわいかろう。

水やり

  
苗を並べる。かっこいい。

  
ナラベールくんww
 
一度にたくさん水やり。

 
ちなみに上のはポット苗。 詳しい説明は また次回。

霜よけ
   
5月に入ってもまだ霜が降りるため 屋根を作る。

 
骨組み。

  
芽が出てないものにはシートだけを被せる。

そんなこんなで苗が育つと緑の絨毯に。美しいね。
 

このあとそれぞれの注文主=農家さんに配達します。

苗を作るのがこんなに力仕事だとは思わなかった。苗箱は重いので何度も運ぶのが 体力的にかなりきつい。

米づくりって 百姓って 体力大事だなあ。 身体をたくさん動かすから休憩もとても大事だということを身を以て知った。

身体はしんどかったけど 一緒に働く人たちが面白くて ものしりで やさしくて とても楽しかった! 一番最初のはたらきはじめがここで本当に良かったなあ。
書ききれないけど 今回はこの辺で。

また次回。

 

わたしのまち

今わたしが住んでいるまち 岡山のここ。
  
鳥取との県境にあるまち。 

拡大っっ

 

もともとここには上齋原村・奥津町・鏡野町・富村の4つの町村がありました。

平成の合併で鏡野町となりましたが 今でも地域色は濃ゆい と、思います。

私の住んでいるところは旧上齋原(かみさいばら)にあたります。  

相棒である もうひとりの協力隊のトノは 旧富(とみ)村に住んでいます。 

町内のど真ん中を走る国道を北上していくにつれて標高が上がっていきます。

  

私の住んでいる上齋原は標高700mで 冬には雪が2m近く積もるそうです。
『冬はえらいで〜〜 たのしみじゃな(ニヤリ)』と脅されています。笑 想像つかん…。*えらい=しんどい

とにかく自然が豊かで 五感を使って四季を味わえる。

これから この素敵な町の素敵なことをたくさん発信していきたいと思います。そして 鏡野町ファンをどんどん増やしていきたい。