いま、勉強していること都市的ではない、現代における農山村での暮らし方 と言えばいいのか、、合ってるのか、、?
を、僅かながら かじりはじめて。
なぜかというと
協力隊の1年間で なんとなく でも強く確かに でも感覚的に 農山村っていいなって思って
それはきっと 私だけじゃないはずで
命に近いところでの暮らしって 誰にとっても本質的であるはずで
だから いま 当たり前にあるこの都市社会的な暮らしから メインストリームを農山村に持ってくのってありだと思っていて 農山村の暮らしを補う都市社会? ってあり得るのかな? わからないけど
とにかく 最近覚えたことばを使うと “懐かしい未来”をつくる。
そういう未来を描く。その一助になりたい。
そのためには勉強しなきゃって思っていて
でもその世界を見れば見るほど
生きてるってなに?
なんのために生きるの?って思ってしまう。
人間がいなくても自然は自然であり 循環しているわけで。
環境に優しいとか優しくないとか破壊するとか それってぜんぶ人間目線で。要は人間が住めなくなるってことですよね。
地球を破壊するほど壊さなければ たぶん きっと綿々と自然は自然のままずっと循環していくと思う。
自然に寄り添った暮らしって心地いい。でも別に人間がいなくても、というよりいないほうが 自然にとってはいいのでは?
そしたら人間の行うすべての活動って意味があるのかな、
なんのために生きてるの?
と思ったら なにもできなくなってしまいました。
でも いまは勉強するしかないのかな。勉強不足だからこう思うのかもしれない。
いまはまだ その中でも 先が見えそうな 信じられる道をゆくしかないんだろうな。
いつか あの頃はこう思ってたけど 人間って愛おしいものよ
って話せる日が来るのかな。